ほんだただかつ せいぼつねん
1548年〈天文17〉−1610年〈慶長15〉 かたがき
戦国武将

キャッチフレーズ
家康に滅私奉公した三河譜代の豪勇
徳川家康の重臣。家康の父・松平広忠の家臣であった本多忠高の長男として三河に生まれる。幼名鍋之助、通称平八郎。酒井忠次、榊原康政、井伊直政とともに徳川四天王と呼ばれ、三河譜代の家臣団の中核をなした。
 1560年(永禄3)13歳のとき、尾張大高城の兵糧入れを初陣に、家康が戦った57回すべての合戦に従軍したが、身に傷をうけたことがなかった。武功により頭角をあらわし、66年寄騎50人余を付属された。以後武田信玄との諸戦で勇戦し、信玄の近習小杉左近はその武勇を「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭(家康秘蔵の兜)に本多平八」と謳ったという。また小牧・長久手の合戦で、わずかの手勢を率いて多勢の秀吉軍を挑発し、家康を守ろうとした豪勇ぶりは有名である。
 90年家康の関東転封時の知行割りでは、上総大多喜10万石を与えられた。当時すでに酒井忠次は引退していたので、三人衆とも呼ばれた。1601年(慶長6)伊勢国桑名10万石に移された。家康の駿河引退後は、本多正信・正純父子ら官僚派に遠ざけられ、63歳で病没した。


関連人物
徳川家康 

関連図版
旗印  家紋  花押 




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