中山道と木曽路
ところで中山道というのは、どこを起点にどこまでをそう呼ぶのでしょうか。江戸五街道のひとつとしてよく知られているわりには、東海道五十三次と比べるとどんな宿場があったのか、断片的にしか思い出せないのが実情でしょう。そこで改めて調べてみると、江戸(東京都)の北西部板橋を起点として武蔵(埼玉県)、上野(群馬県)、信濃(長野県)、美濃(岐阜県)を経て、近江(滋賀県)の守山宿を最後に草津宿で東海道と合流し、大津を経て京都に達するというのが中山道です。板橋より守山まで67宿ありますが、通常は草津と大津を加えて69宿と数えるのが一般的なようです。途中に碓氷峠、和田峠、鳥居峠などの難所がありました。このうちの「木曽十一宿」を木曽路(木曾街道)と呼ぶため、しばしば中山道と木曾街道は別物と勘違いされることがあります。なお、倉賀野で日光例幣使街道、追分で北国街道、下諏訪で甲州街道、洗馬(せば)で善光寺道(北国街道脇往還)、関ヶ原および鳥居本で北陸道に合流する、文字どおり当時の一大幹線道路でした。
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(上)渓斎英泉 木曽街道 板橋之駅 1835年(天保6)頃 中山道広重美術館蔵
(下)歌川広重 木曽海道六拾九次之内 鳥居本 1837年(天保8)頃 中山道広重美術館蔵
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