[ウェブマガジン] WEB MAGAZINE vol.010



第2回「美濃焼の歴史」


01 美濃の土の特徴
02 岐阜県陶磁資料館
03 「せともの」と美濃焼
04 桃山陶以前の美濃のやきもの
05 多様な個性をかたちづくった桃山陶
06 盃と窯元の町・市之倉
07 洋食器の町・滝呂


「せともの」と美濃焼

ところで現在この地方で生産される多種多様な陶磁器は、総称して「美濃焼」と呼ばれています。しかし「美濃焼」と聞いて思い浮かぶのは、やはり志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒など伝統的な桃山茶陶でしょう。でもなぜ黄瀬戸、瀬戸黒と、「瀬戸」がつくのでしょうか。
じつはこれらの桃山茶陶は、長い間漠然と瀬戸地方で焼かれたものと考えられていました。昭和5年に荒川豊蔵が美濃古窯跡で志野の陶片(後出の豊蔵資料館の項参照)を発見したことにより、この通説はくつがえされます。たしかにこの地方はやきものの代名詞ともなった「せともの」の産地、山ひとつ隔てたところにある愛知県瀬戸地方とは密接な関係にあります。
    実際16世紀後半には瀬戸から陶工集団が大量に移動し、それまでの瀬戸とほぼ同じ製品を生産するようになりました。そのため京都などの大量消費地では、美濃産でありながら「せともの」として流通し、美濃ブランドとしては定着しなかったのです。また、美濃の桃山陶は比較的短い期間で生産されなくなり、くわえて江戸後期には瀬戸でこれらの写しを生産したことから、昭和初期までは「せともの」とひとくくりにして扱われていたのです。
ちなみに美濃焼という名称が使われだしたのは江戸末期から明治にかけてで、尾張国の圧力がかかって瀬戸の名が使えなくなったためだといわれています。



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