[ウェブマガジン] WEB MAGAZINE vol.009



第1回「やきもの探訪」


01 豊富な土に恵まれた東濃のやきもの
02 陶都・多治見の「オリベイズム」
03 庭園が美しい土岐氏ゆかりの虎渓山
04 昔ながらの誠実な仕事を続ける〈水月窯〉
05 美濃焼のうつわで料理を堪能
06 古窯と徳利の町・高田(たかた)


古窯と徳利の町・高田(たかた)

高田川にかかる斧研橋(よきとぎばし)のたもとに徳利のモニュメントが見えてくると、そこが高田焼の里の入り口です。現在は多治見市と合併しましたが、徳利の高田、盃の市之倉、椀や丼の滝呂といったように、かつては周辺の町ごとに品種別に分業生産していたところです。高田焼の歴史は古く、鎌倉、室町時代にかけての窯跡が多く確認されています。窯跡から発見された陶片からもうかがえるように、山茶碗とよばれる生活に根づいたうつわを生産していたようです。今でも高田ではきめ細かく粘りのある土が採れますが、この土は緊密に焼けるため割れにくく、また耐火性、保温性にもすぐれたやきものができるそうです。
江戸時代の中頃から作り始めたという「高田徳利」は別名「源蔵徳利」と呼ばれ、もっぱら酒屋に酒を買いに行くときに使われていました。昔は各家庭にひとつはあった、酒屋の屋号が入った徳利、そのほかにも湯たんぽや土瓶、行平(ゆきひら)、あの駅弁などでおなじみの釜飯用のうつわなど生活のなかでもとりわけぬくもりを感じる陶器が作られてきました。美濃焼といってもいろいろありますが、こうした土の特性を生かした製品を作りつづけているのは、唯一、高田だけなのです。
 
(上)湯たんぽ
(中)行平
(下)釜飯器


庭先に、成型を終えて天日干しをしている徳利の列が続く窯元〈成宝園〉は、明治30年の創業以来、源蔵徳利や干支の動物をかたどった酒瓶などをつくってきた老舗です。ここで、石膏型を使って成型するようすを見せてもらいました。
まず、ふたつに割れた石膏型をあわせて中にドロドロの粘土を流し込み、少し時間を置きます(時期により違うそうですが、夏の晴れた日には20分ほど)。すると水分を吸収しやすい石膏型に接したところから見る見るうちに粘土は固まりはじめます。固まりぐあいを見計らって、再度粘土を流し出すと型には適度な厚みに粘土が残り、中空ができます。あとは型をはずして、はみだした余分な粘土を削ったらできあがり。「だれにでもできるよ」と言われて、型をはずす作業をやらせてもらいましたが、やはり簡単にはいきませんでした。名前や店名を入れた徳利は1本からでも注文できるとあって、なかなかの人気のようです。


山懐に抱かれ、坂の多い高田の町にはあちこちに窯元の小さな工場があり、昔はたくさんの煙突から黒い煙がもくもくとあがっていたそうです。現在はどこもガスや電気の窯に変わり、レンガ積みの煙突も見かけなくなりました。今では〈陶人舎窯〉の裏山の斜面に残る登り窯が、美濃で唯一現存する棚積み焼成の連房式登り窯だそうです。この窯は戦後の築窯ですが、燃料が薪から石炭、重油、ガスと変わり、現在、使わなくなって40年ほど経つそうです。
そういえば町中でも、かつてはどこでも見かけた山積みの薪の代わりに、大きなガスボンベがいくつも転がっていました。たしかに大量の薪は森林保護の時勢に反し、効率的でクリーン、なおかつ安価なエネルギーといえばガスでしょうが、なんとなく風情がなくなってしまったようで、少しさみしいような気もします。
 
(上)陶人舎窯に残る登り窯
(下)東町の採土場


多治見市観光情報:http://www.city.tajimi.gifu.jp/fun/index.html


01- 02- 03- 04- 05- 06
バックナンバー