[ウェブマガジン] WEB MAGAZINE vol.005



第2回「和傘の歴史」


01 雨の多い日本の気候
02 和傘のルーツは「きぬがさ」
03 雨傘の登場
04 徳川時代の傘
05 岐阜で傘つくりが盛んになった理由


徳川時代の傘

さて徳川時代になっても、傘は依然として貴族諸侯のもので、庶民はなお蓑と笠を用いていました。しかし、制作技術に関してはひじょうに発達し、種類も多くなってきたようです。やがて大名のお供の者たちも傘を用いることが許されたので、次第に広まって行きました。
元禄時代になると、蛇の目傘や大坂の大黒屋製の傘が庶民の間で流行しました。大黒屋製のものは後に番傘と呼ばれた、頑丈で無骨な傘でした。蛇の目傘は前回にもお話ししたように、傘を広げたときに白い輪の部分がヘビの目に似ていたのでこのように名付けられました。浮世絵の画題として取り上げられ、とくに美人と蛇の目傘との組み合わせはいろいろの画家が描いています。



歌川芳虎 当世夏景ノ図 制作年不詳
江戸時代に誕生した蛇の目傘(右)と番傘。
右の遠景には、番傘をさした男が見える


葛飾北斎 新柳橋の白雨 制作年不詳
夕立(白雨)に会い、あわただしく行き交う人び
と。番傘と蛇の目の傾け具合やすぼめた様子でかなり風も強いことがわかる

岐阜の加納の傘は、寛永16年(1639)に戸田光重が明石藩より移封したさい、傘屋金右衛門という職人を連れてきて製法を家中に広めたということ言い伝えがありますが、わが国の需要が盛んになるのが天明年間(1781〜89)以降であることを考えると、本格的な生産はもう少し後からであると思われます。



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