[ウェブマガジン] WEB MAGAZINE vol.005



第2回「和傘の歴史」


01 雨の多い日本の気候
02 和傘のルーツは「きぬがさ」
03 雨傘の登場
04 徳川時代の傘
05 岐阜で傘つくりが盛んになった理由


和傘のルーツは「きぬがさ」

みなさんは古い絵巻などに、貴族が外出するさいお供の人が頭上から傘を差し掛けている様子が描かれているのを見たことがあると思います。これは強い日射しから貴人の身を守るだけでなく、むしろ権威の象徴としての意味合いが強いものです。木製の骨に布(絹など)を張ったもので、開閉はできませんでした。これは「きぬがさ」と呼ばれ、漢字で書くと「蓋」と表記します。
720年に編纂された『日本書紀』には、清寧天皇の三年の春、二人の皇子を摂津の国におつれしたとき、「多くの臣下が剣をかざし、青い蓋の車で宮殿にお迎えした」という記述がありますが、考古学的な遺物では、すでに弥生時代後期から「蓋」の部品と推定される製品が発見されています。また古墳時代の埴輪には大型で豪華な蓋をかたどったものがあり、この事実から西暦4世紀にはすでに豪族のシンボルとして蓋が利用されていたようです。
京都祇園祭り「四条傘鉾(かさほこ)」の図

祇園祭りの傘鉾は、傘のルーツである「きぬがさ」や仏像をおおう天蓋などが影響してできたといわれている
四条通りの賑わいと差し掛け傘


江戸時代初期、京都四条通りの賑わいを描いた「四条河原図巻」部分図。お供が身分ある人に差し掛け傘をして通りをいく様子
喜多川歌麿 太閤五妻洛東遊観之図[部分] 1804年

豊臣秀吉の醍醐の花見を主題にした錦絵のうち、北の政所を描いた部分。侍女が差し掛け傘をしている様子
渓斎英泉 源頼朝富士裾野巻狩図[部分] 1820年頃

1193年(建久4)、頼朝が行なった有名な巻狩を描いた絵。なお、名高い「曾我兄弟の仇討ち」は、この日の夜の出来事である



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