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「美濃国守護土岐氏の末葉、三河国より棉種を伝え、これを土岐一族の住む川手・岐阜・加納・大桑等に栽培させた。天文16年(1547)11月、斎藤道三が土岐頼芸を大桑城に攻めた時、土岐姫は落城に先ち、辛うじて落ち延びんとしたが、姫の長い振袖が綿木に搦みつき遂に生捕られた、斯くして姫の綿木を怨む一念により、大桑村には綿木が生い立たぬと云う。」 |
左の記述は、『美濃織物史』(1960年 美濃織物工業協同組合発行)のなかで、この地に伝承される話として紹介されているものです。日本に綿がもたらされたのは8世紀半ばとも、それ以前ともいわれますが、中世に一度すたれ、16世紀に再び種がもたらされ、また17世紀半ばにもたらされた種は全国に広がり、江戸時代中期、綿織物は爆発的な広がりをみせたといいます。
上記の話にしたがえば、美濃の地では、全国的な綿栽培に先がけて行なわれていたのでしょうか。 |