
おいちのかた 
1547年〈天文16?〉−83年〈天正11〉 
戦国武将の室
政略結婚によって翻弄された悲運の美女
織田信長の妹とされるが、信長の従姉妹、また信長の父信秀の五女ともいわれる。1567年(永禄10)ごろ信長の意により近江小谷城主・浅井長政に嫁ぎ、小谷の方(おだにのかた)とも呼ばれた。 長政との間に1男3女をもうける。しかし夫と兄信長との対立が激化し、73年(天正元)織田軍に攻められ小谷落城、長政は自刃する。お市は落城寸前、娘たちとともに信長のもとに送り返された。
その後、本能寺の変で信長が没した後、柴田勝家に再嫁した。しかし半年後の83年4月、羽柴(豊臣)秀吉に居城・越前北ノ庄城を攻められたとき、勝家は脱出をすすめるが、小谷城落城後の悲哀を繰り返すまいと娘たちを逃した後、城に火を放って自害した。
長女・茶々は秀吉の側室淀君、次女・於初は京極高次の正室、三女・於江(おごう)は徳川秀忠の正室となった。
関連人物
織田信長
淀君
柴田勝家
浅井長政
関連図版
肖像画
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