こぼりえんしゅう せいぼつねん
1579年〈天正7〉−1647年〈正保4〉 かたがき
大名茶人

キャッチフレーズ
茶の湯、建築、作庭、書、和歌に才を発揮し、徳川初期の文化をリードしたマルチタレント
 父・小堀新介正次ともに豊臣秀吉の弟・秀長に仕え、秀長没後は秀吉に仕えた。のちに父が徳川家康に仕えるようになってからは、伏見城作事奉行を命じられる。
 1604年(慶長九年)父が急逝した後は、近江国小室1万2千石を継ぎ後陽成天皇仙洞御所の造営と駿府城修繕の功により従五位下遠江守に叙せられる。また、名古屋天守閣、禁中作事、備中松山城、伏見城本丸書院などを手掛ける。
 17年(元和3)河内国奉行を命じられてからも作事と行政の才能を発揮し、伏見奉行を拝任してからは二条城と大阪城本丸も築造。
 茶人としては秀吉に仕え始めた頃に古田織部に茶の湯を学ぶ。その茶風は「きれいさび」と評され、公家的な古典美と武家茶道の一体化を図ったもので、近世茶道を求道的で儒教的な道徳倫理の発現の場として大成させた。大徳寺孤篷庵「忘筌席」、龍光院「「密庵席」などの茶席、江戸城西丸山里茶室の作事に携わり、36年(寛永13)将軍家の茶道師範となる。
 絵画を茶会掛物として復興させたり、宇治茶園の保護や唐物写しとして遠州七窯を開くなど、茶道会に与えた影響は大きい。また、定家様の家として一家をなし、和歌にも秀でていた。


関連人物
徳川家康  豊臣秀吉  千利休 


ウィンドウを閉じる