しまづよしひろせいぼつねん
1535年〈天文4〉−1619年〈元和5〉かたがき
戦国武将

キャッチフレーズ
敵陣中央突破で勇名を馳せた薩摩の武将
戦国末期から江戸初期の武将。薩摩守護・島津貴久の次男。1554年(天文23)の初陣以来、武勇をもって内外にその名をとどろかせ、大隅(鹿児島県)の平定に功名をあげた。耳川の戦いでは巧みな戦略で大友氏の大軍に圧勝し、弟の歳久、家久とともに兄・義久を助け、一族団結して九州を制覇した。
1587年、25万の大軍を率いて九州入りした秀吉の前に無条件降伏するが、義弘は大隅一国を与えられた。文禄の役で朝鮮に出兵、泗川(サチヨン)の戦などで武名を馳せる。また朝鮮より陶工を連れ帰り、今日の薩摩焼を生み出した。 関ヶ原の戦では西軍として出陣、戦場で中立を保っていたところ、最後の標的として東軍に包囲された。このとき、三百あまりの寡兵で敵陣の中央突破を敢行して薩摩に帰還、その勇猛ぶりは後生の語りぐさとなった。   


関連図版
旗印  家紋  印影  花押 



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