ふくしままさのり せいぼつねん
1561年〈永禄4〉−1624年〈寛永1〉 かたがき
戦国武将

キャッチフレーズ
家康に利用されたうえに改易された、秀吉子飼いの大名
安土桃山・江戸初期の大名。父は尾張国の武士・福島正信、母は豊臣秀吉の伯母木下氏の出身。 幼い時から秀吉に仕え、83年賤ヶ岳の戦では「七本槍」の筆頭として活躍した。その後も数々の手柄を立て、秀吉の四国平定後、伊予・今治11万石を与えられた。
 92年文禄の役(朝鮮出兵)にも参加し、95年には尾張・清須城に移り24万石を領した。尾張は織田ゆかりの地であり、関東に対する重要拠点であることから、正則がいかに重視されていたかうかがうことができる。
 1600年(慶長5)、家康に従い会津攻めで東下していたときに石田三成挙兵の報を知り、下野・小山の軍議では率先して家康に尽くすことを誓った。そして関ヶ原の戦でも先鋒をつとめ、戦功により安芸・備後49万8千石を与えられ、広島を居城とした。
 大坂城の豊臣秀頼には忠誠を尽くしたが、加藤清正らの死去により次第に力を失い、大坂冬の陣では江戸城の留守居を命ぜられた。その後、豊臣系大名取りつぶし策のもとに19年、広島城を無断で修築したことを口実に、芸備2国を没収された。正則は出家して信州・川中島4万5千石に移され蟄居していたが、ほどなく64歳で病没した。   


関連人物
徳川家康  石田三成  豊臣秀吉 

関連図版
肖像画  旗印  家紋  花押 



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